『3月のライオン』は『ハチミツとクローバー』の羽海野チカ先生作の漫画だ。
主人公は零という高校生でプロ棋士(将棋のプロ)の青年。史上5人目でプロ棋士になり「天才」と称される彼だが、その素顔はあまりにも頼りなく傷つきやすい、人と関わるのが苦手な男の子だ。
幼いころに親を亡くし、父の知り合いのプロ棋士である幸田に引き取られた零は、将棋だけが自分の生きる道だと決め、ひたすら将棋に没頭していった。
しかし、幸田家の(本当の)子どもたちよりも将棋で自分が強くなってしまい、それが原因で幸田家の子ども(姉・香子と弟・歩)は「壊れて」しまう。
「巣の中の卵を落として、自分の子どもをよその親鳥に育ててもらうカッコウのようだ」と自分を形容する零は、自分が幸田家という家庭を壊してしまったのだという罪悪感を持っている。
そんな彼が、偶然出会った3姉妹「川本家」や他の棋士達と交流することで、自らの凍りついた心を少しずつ融かしてゆく、そんな物語。
もう一度あらすじ
東京の下町に1人で暮らす17歳の少年・桐山零。彼は幼い頃に事故で家族を失い、心に深い傷を負ったまま将棋のプロ棋士となり、孤独な生活を送っていた。師匠・幸田の家にも居場所を失くし、一人暮らしを始める零は、川本家の3姉妹あかり・ひなた・モモと出会う。
幸田家との異常ともいえる関係や、他人を踏み台にして高みへと昇り続ける『将棋の鬼』とも言える自らの魔性と周囲からの疎外感に苦しみ続ける零は川本家との交流、様々な棋士との対戦を経ていくうち、失っていたものを少しずつ取り戻していく。
ひなたのいじめ問題に関わり、トラウマの1つから救われた零は、ライバル二海堂の雪辱を胸に新人王となる。記念対局で名人宗谷と対局した零は、彼のある秘密を知るのだった。
心が暖かくもなるしキュッと締め付けられもする、不思議な作品(以下ネタバレあり)
『3月のライオン』を読んでいると、時々ひどく胸が苦しくなってしまう。それはなぜか?零の抱える心の傷が、かつて自分が抱えていた傷と同一視してしまうからかもしれない。
物語のキーパーソンは川本家…なのは間違いないけれど、零にとってのキーパーソンは幸田(父)、そして幸田香子ではないか。零も彼なりに十分傷ついている。しかしそれ以上に傷つき心が歪んでしまったのは香子だと思う。
零が彼女と今後どう向き合っていくのか(9巻時点ではまだそこまでの展開はない)、零の心を融かしていくのは、彼女との関係がキーになる気がしている。
私は間違っていない!ひなたの戦い
個人的に私が最も好きな話は、ひなたの「いじめ問題」だ。
ひなたの同級生がクラスでいじめられるようになる。その子はひなたの親友であるため、ひなたは庇う。次はひなたがいじめられるようになる。想像以上のいじめにひなたは苦しむが、「私は間違っていない!」と叫ぶ彼女の姿は、今作の一番のハイライトと言ってもいいだろう。
私は間違っていない。自らの正義を実行したために自分がいじめられることになる。普通ならここで「あぁ、いじめをかばったら自分がいじめられるんだ」と人は【学習する】ようになる。今度はいじめを見過ごすようになるかもしれない。
なんて強い子だろうか。まだ中学3年生の女の子である。
自分は絶対に間違っていないと思えるか。
私は絶対に正しい。そう思うのは正しいことだろうか。頑固で柔軟性のない考えと思う人もいるかもしれない。
しかし、自分が正しいと思う考えはとことん貫いたほうがいいと思う。それがたとえ間違っていたとしても。私達は他人の意見に流され、世間で「こうしたほうがいい」という想念に振り回されすぎだ。
自分がいじめられる立場になっても「私は間違っていない」と言えるひなたはすごい。そこに、他者の価値観や想念はない。自分の魂が「こうすべきだ」と思うことに忠実だ。今どき、このような若者がいるだろうか。
私ならどうだろうか?いじめをかばって、その結果自分がいじめられるようになっても、自分の正義を疑わずに「間違っていない」と言えるだろうか?
自分に問いを投げかけ、彼女の母を亡くしたというバックグラウンドや描写されていない様々ないじめ、それに耐える彼女の姿を想像しながら考える。
私は溢れる涙をこらえながらページを捲ったことを今でも覚えている。(今思い出しながら書いてる最中も、ひなたの叫ぶ表情と零の表情を思い出して泣きそうになる苦笑)